国同士の争そいごとを治め、主に西日本を中心に30ほどの国を統治していた。

卑弥呼がなくなった後、男の王が立てられたが、再び内乱が始まり、卑弥呼の親族である台与(とよ)が女王となり、再び内乱を鎮めたとされる。


母系を優先している社会であった古代日本は、なぜ、母親の血縁を優先するのかと言うと、狩猟による生活が安定し集落の中、あるいは近くの集落の男子との乱婚により、夫婦関係は性格ではなかったため、出自が母親でしかたどることができなかった。が、そもそも家族と言う単位でなく、一つの集落の中で、役割があり、男性は狩猟や力仕事をし、女性は子どもを集団で育て、集落を維持していたのではないかと思う。

弥生時代にはいってから大陸から渡ってきたといわれていた稲作にも、実は分析技術の進化により、中国で出土されたものよりも、日本のほうが古いことがわかっている。

東日本では、稲作が広まらなかったのは、米以外の作物、栗などの木の実などが十分にあったという。
環状に造られた集落の周りには、栗の木が植えられていた。

そして、卑弥呼が統治する以前、西日本は稲作が広まり、豊かなものが権力を持つようになっていったのだろう。

男性は生来、競い合うのが性分。より多く米が取れた方が強者という考えで、より多くのものを獲得しようとして争いが起こって言ったのかもしれない。

事実、女性の王卑弥呼がなくなった後に立てられた男の王の時代は、再び争いが起き、卑弥呼の親戚の台与(とよ)が現れ、再び争いを治めたとされている。



何故か日本の歴史から消されてしまった卑弥呼の記録。『魏志倭人伝』に記されている卑弥呼に関わる記述の中から探るほかはない。



さて、謎の多い卑弥呼だが、”鬼道”という呪術によって神からのお告により国を治めていたとされるが、卑弥呼は表には姿を現さず、弟が実際の政治を動かしていたと言う。

卑弥呼の周辺は男子禁制とされていたが、身辺の世話をしていたのは男性だったと言う記録がある。

記述の中に、

「年すでに長大なるも、夫婿なく、男弟あり、たすけて国治む」とある。
そして、のことも書かれている。

801032


呪術をあやつった卑弥呼は、巫女、シャーマンという特殊な能力の持ち主であったことがわかっている。いろいろな文献を調べる前までは、シャーマンというのは男性と交わることのない神聖な存在だというイメージでいたが、ギリシャやメソポタミアといった諸外国の歴史の中でのシャーマンは「神位のある男性と交わり、その神託を受ける」のが役目だったのだ。ということは、卑弥呼も同じではないだろうか。


『魏志倭人伝』には弟と男は書き分けてあり、同一人物ではない。
その飲食を給いし男の存在とは何なのだろうか。。。